穂高岳・槍ガ岳その2(涸沢岳・北穂高岳)

1999年7月28〜29日

長野県南安曇郡安曇村

奥穂高岳標高3,190m・涸沢岳3,110m・涸沢槍・涸沢のコル・奥壁バンド・ドーム・北穂高岳3,106m

1日目 (上高地−岳沢ヒュッテ泊)

2日目 (岳沢ヒュッテ−紀美子平−前穂高往復−吊尾根−奥穂高岳)−穂高岳山荘−涸沢岳−北穂高小屋(泊)


奥穂高岳から穂高岳山荘への下り

奥穂高岳での昼食後、穂高岳山荘へと下る。この写真を撮った後ザックの底から水が漏れているのに気づいた、カメラを仕舞う時に水筒の蓋のバックルを引っ掛けあいたみたいで、ハシゴの手前でザックを降ろし確認した。狭い所で何をしているのかと山荘の前の広場にいる人が見上げていた。

山荘の前の広場は美しい石畳に変わっていて驚いた。山荘の広場でザックを店開きしてこぼれた水の後始末をした。


穂高岳山荘から涸沢

ザックを店開きしていると急にガスが急に晴れ涸沢が望まれた。誰かが叫んだので山荘の中にいた人が大勢出てきて、私が店開きをしている所へも押し寄せ恥をかいてしまった。

この山荘で泊まるかどうか迷ったが、明日の為に北穂高山荘まで行こうと涸沢岳に向かった。涸沢岳の頂上までは普通の登山道でゆっくり登って行った。

頂上を過ぎ下りになって小さなピークを越えたあたりからの縦走路は緊張の連続であった。飛騨側の滝谷から吹き上げてくる小雨まじりの強風に悩まされながらカッパを着て1.7Kmと短いが標高差170mの急峻な岩稜の登り下りを繰り返した。

路は涸沢側と滝谷側を行ったり来たりであるが、滝谷側に回りこむと小雨混じりの強風でメガネがすぐに曇り、前が見えなくなるのでメガネを拭く、しかしすぐに曇りまた拭くという繰り返しでメガネのハンディを感じた。メガネが曇るとホールドが見えなくなるし、雨で岩が濡れていて結構苦労した。

ドームを巻き南稜のテント場が見えたとき、やっと終わった!ほっとした。ガスの中、北穂高岳の頂上で写真を取り、北穂高小屋に着いた。時間も17時を過ぎており時間との闘いでもあった。


前穂北尾根

北穂高小屋の食堂は昔と変わらずバロックが流れていて、落ち着ける。一番最初に山(特にガスが湧き上がる情景)にはバロック音楽が似合うと感じたのは、この小屋で昔聞いてからである。小屋は比較的空いていて気持ち良く過ごせた、しかし夕食は疲れのあまり食欲は落ちていた。

写真は30日朝、北穂高小屋より見た前穂高北尾根の勇姿、後方に南アルプスが写っている。この朝はよく晴れて富士山、南アルプス、八ヶ岳、立山連峰、後立山連峰、黒部川源流の山々がよく見えた。


奥穂高岳と涸沢岳

北穂高岳頂上より昨日苦労した奥穂高岳から涸沢岳、ドーム、滝谷の朝焼が手に取るように見える。昨日の天候が信じられないような穏やかな朝である。後方には焼岳、乗鞍岳も見えた。しかし今日も早朝からガスが飛騨側から吹き上げて来ている。

穂高岳山荘から北穂高小屋のコースは昨年の地震でしばらく通行止であったらしい。北穂高小屋では地震の夜は5分間ぐらい岩なだれの音が聞こえていたとインターネット情報にあった。それが頭にあり昨日、コースの途中で地震が起こったら助からないと思うと、早くこのコースを終えねばとの気持ちもあった。


朝の滝谷

北穂高岳山頂からの朝の滝谷。北穂高小屋にはクライマーも泊まっており既に滝谷を始めていた。(写真では確認出来ないが写っています。)若いころ一度だけ雪彦山の地蔵岳をやった事が思い出された、今はクライミングなんて怖くて出来ない。滝谷は岩の墓場と呼ばれ崩壊が激しい岩場でありクライミングのメッカである。こんなところで地震にあえばひとたまりも無いであろう。


槍ヶ岳

北穂高岳小屋より槍ヶ岳、今日も南岳までは飛騨泣き、大キレットと難所が続く。南岳までの稜線はナイフエッジの稜線が続いている、あんなところ行けるかな?と不安が頭をよぎる、北穂から南稜を降りれば楽勝コースであるが!。北穂高小屋から槍ヶ岳へ向かうのは我々以外は一人だけ見たいである。槍ヶ岳から北穂高岳へ向かうのが一般的で、ここからは逆コースであるので少ないのであろう。

若い頃、槍ヶ岳から奥穂高へと今回と同じ逆コースを縦走したことがあるが、あれから25年ぐらい経っているので初めてと同じである。小屋のおいしい朝食を食べいよいよ槍ヶ岳へと出発した。

 

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