太平洋石炭販売輸送のバラ積貨物 (釧路:6月24日)
2004年6月24日
1925(大14)年2月の春採〜知人間開業が始まり、東釧路でJR根室本線、釧網本線と接続され釧路臨海鉄道の名前で旅客輸送も行っていました。旅客輸送が1963(昭38)年11月1日に廃止。1979(昭54)年4月30日には太平洋石炭販売輸送に変更され、1986年11月1日以降、現在は春採〜知人間4.0kmの石炭輸送のみで営業されています。
この炭坑の特徴はいくつかあり、まず太平洋の海底から採炭していること。また可能な限り自動化され、世界一機械化の進んでおり、その技術は世界から注目されています。石炭は何キロにも及ぶベルトコンベアで春採(ハルトリ)という地区の鉱業所に集められます。これを積出港である知人(シレト)まで鉄道輸送しており、貨車も自動化が進み、自動積降また機関車からの電気指令で連結解放や任意の貨車の排炭扉の開閉も出来るらしい。
現在は太平洋炭坑はコールマインと名前を変え研修設備となり海外の研修生を受け入れ採炭実習が行われているとか?石炭は主に苫小牧の北海道電力火力発電所と、木更津の川埼製鉄千葉工場のようです。
太平洋石炭販売輸送専用線(春採湖〜知人岬) 春採駅?・春採湖畔・弁天ヶ浜・(知人)
石炭の積込駅(春採駅)
釧網本線撮影の後、春採にある釧路炭坑のバラ積貨車貨物を撮りに行く、春採(ハルトリ)は丘の上に立つ街なので道が上がったり下がったりで人に聞いても方向がわかりずらく苦労した。運転所の方に今日の運転予定を聞いたが採炭の状態に依るので分からないがもうすぐ運転すると言われたので許可を得て、写真を撮りながら待つ。右の細長いものがベルトコンベア、その左の「安全第一」と書いた建物が車輛検査場。構内の一般道から撮影。 24日 12:21 撮影。
石炭のバラ積列車(春採駅)
手前の青い機関車D801が春採側、奥が知人側。D801機関車は石炭の自動積込の先頭になりホッパーの下に入るためボンネット上に鉄板のカバーが斜めに取付けられている。左の赤い車輛は除雪モーターカーのようです。24日 12:22 撮影。
石炭のバラ積列車(春採駅)
こちらが知人側(出荷時先頭)で左の橙色のD701号機が推進運転で自動積込のホッパー建屋に貨車を押し込んでいるところ、右にある青色のDE601は電気式ディーゼル機関車(DF200と同じ)、写真のように貨車は2編成があるようだ。24日 12:33 撮影。
石炭のバラ積現場(春採駅)
橙色のD701号機が貨車を押し込み終わり積込中で待機している。走行時の写真を撮るため一足先に弁天ヶ浜に向かう。24日 12:35 撮影
春採駅を出発
写真の左端の奥がすぐ春採駅で、橙色のD701号機を先頭に出発して来た。(この写真は弁天ヶ浜の撮影を終えた後、次ぎの便を撮影)24日 14:53 撮影
春採湖を行く
春採駅から知人まで約4Kmの道のり、水鳥の憩いの場となっている春採湖畔を行く。春採湖を一周する歩行者専用道路もありウォーキングをする人が多く見られる。24日 14:54 撮影
弁天ヶ浜入口
春採湖畔を抜けた列車はすぐに太平洋に面した弁天ヶ浜にさしかかる。ここには漁港があり現在堤防強化?の工事中であり立入禁止の札があり許可を得て撮影する。 24日 12:56 撮影。
弁天ヶ浜
波の穏やかな弁天ヶ浜を行く、丘の上の建物は中学校。写真には写っていませんが左方向回りこんだ所が知人岬で専用埠頭がある。埠頭へ行って見ようとしたが入口が分からず引き返す。24日 12:57 撮影。
弁天ヶ浜
この列車の魅力はやはり貨車セキ6000(連接式石炭車)の長い編成美である。走行距離も短く自動化のため効率が良いPP(プッシュ・プル)運転、知人埠頭では15分間で荷降ろしを行い帰って来る。24日 12:57 撮影
春採湖
知人埠頭から帰って来て春採湖畔を春採駅に向かう列車。春採湖を中心に「春採公園」があり市民の憩いの場となっている。24日 15:15 撮影。
春採湖
先頭の青いD801がここでカーブすれば、春採駅に着く。春採公園ではカラスに襲われた、恐らく人通りが少ない通路に巣があったと思われ威嚇攻撃をされ慌てて離れる。24日 15:15 撮影。